
こんにちは。
下大前です。
7月3日〜5日にかけて、
山形県にて、天然農法でお米を育てておられる中川吉右衛門さん(https://www.instagram.com/i_am_kichiemon/?hl=ja)のもと行われた、農業合宿に参加させていただいてきました。

2番目の娘(小2)と一緒に参加し、田圃に入らせていただいて、除草作業を少しだけですがお手伝いさせていただきました。
吉右衛門さんと出会わせていただいてから、もう10年以上経つのですが、今回は3年ぶりにお会いしました。
今回の合宿と終えてからの日常で感じたことは、圧倒的な自然の懐の深さでした。
それは吉右衛門さんという人間の在り方が、田圃にそのまま投影されているような感覚で、本当に凄かったです。
出会った頃の吉右衛門さんは、
自分にも他人にも厳しい方で、相当のこだわりを持って仕事をされていた印象があります。
今ももちろんそのこだわりは強く感じるものの、自分のこだわりをもちながらもそうでないものをも懐に入れてしまうような、人としての器の深さを感じました。
それがそのまま田圃に反映されているようで…
前回は、吉右衛門さんの田圃だから稲を傷つけないように、しっかり草をとらないと!というようなプレッシャーを少なからず感じながら作業していました。

今回もそれはそのままなんですが、
稲たちから「別に俺らを傷つけても大丈夫やから好きなように、やりたいように作業していってや」みたいに言われている感覚があったんです。
だからといって無碍に扱えるわけは当然なく、だからこそのプレッシャーがありました。
ほら。
人に管理や監視されると、怒られたくないからきちんとやるけど、
人から絶大に信頼されて「まかせたよ」って言われると、管理されなくてもきちんとやらなきゃって思う感覚。
あれに近い感じがしました。
それくらい、素人僕達を信頼して、百姓さんの命でもある田圃に入らせてもらっている。
この信頼。
この信頼を、僕は普段体に触れさせていただいている方々に対して、どこまで持って日々接しているだろうか?
それ以前に、自分自身のことを信頼しているだろうか?と、田圃に、稲に、吉右衛門さんに問われているような気分でした。

普段の日常の中で、
思い通りにいかないことがあると、思い通りにいかせたくなります。
悩みがあれば、悩みに対処したくなる。(悩みとしている自分の概念は見ずに)
痛い辛いがあれば、原因は無視し、ないものにしたくなる
親の思い通りに子が育つこと良しとして、そうでなければ悩む
自分の価値観と違えば、人のせいにする
人に気を遣うという言い訳で、人に対して表面上の付き合いをする
自分がむりそうなことはやろうともしない(自分を信頼しようとしない)
…
振り返るとキリがないです。
こうして文章も書くにも、何かを伝えようとして書いたり、わかりやすいように書いたりと僕はしてしまいますが、(それもそれでOK)それはある意味、こんな文章だと伝わらないだろうなっていう他者と自分への信頼のなさからくる感覚かもしれません。
例えば、山形から帰ってから、こどもに物事をわかりやすく説明するのをやめました。
「こどもにはこんな単語わからないだろうな」っていう思いは、こどもに対して失礼だと感じたからです。
(わかりやすく説明することも大事なんだけども)
人のことを信頼せず(しようともせず)、自分自身のことも信頼しようとしない。
そんな自分に問いをかけてもった3日間でした。
今回、吉右衛門さんの田圃から、感じたのは、圧倒的な他者に対する信頼と、それを許容できる懐の深さでした。
医療はそれなしには成立しないのではないかなと思いました。
単にエビデンスがどうとか、統計がどうとかいう前に、
まずお互いの、お互いに対する信頼があってこそ成り立つことだと思います。
そこの信頼なしにエビデンスを信頼することなんて出来るんでしょうか。
でも、信頼ってなんなんでしょう?これまた難しい。
色々な定義がここにもありそうですが、
僕が今まで思ってきた「信頼」って、その人自身に対するものではなく、その人が出来ること(行為や結果)に対して使ってきた言葉のような気がします。
これは、あまりにも浅すぎるし、狭すぎる。そして何より寂しい。
こうして言葉の意味を丁寧に考えることも、とても大切な気がしています。
そんな色々を学ばさせていただいた農業合宿でした🌾
また、10月には収穫祭があるので、とても楽しみです☺️


















