頭痛、肩こり、めまいの原因になる「眼の疲労」の正体を考える

おはようございます!

整体庵大空の下大前です。

今日は、僕自身も施術の中やブログでよくお話する「眼の疲労」についてです。

眼の疲労とは非常に奥深く、僕は眼の専門家ではありませんので、

眼の科学的なことはついては触れませんが、それよりも

整体師の視点で、眼のことについて整体をしていて日常感じることをお話したいと思います。

眼の疲労と言えば、

一般的には、「スマホやテレビなどディスプレイの見過ぎで眼が疲れる」と言われますね。

でも、

これに関しては、全てが正しいわけではないと思います。

 

例えば、仕事でディスプレイを見ていて疲れるということが日常的にあります。

しかし、大好きなゲームであれば、仕事と同じ時間かもしくはそれ以上の時間をゲームに費やしたとしても、

仕事ほどの疲れはなく、むしろ難解なゲームをクリアしたのであれば、

疲れよりも、大きな充足感を感じるでしょう。

これは、

「ディスプレイを見すぎて眼が疲れた」

というよりも、

「ディスプレイを使って、やることに興味があるかないかによって眼が疲れる」

ということが言えるかもしれません。

興味のないことをやるのと、

興味があることをやるのでは、

どちらが疲れやすいかは一目瞭然ですよね?

眼というのは、そういう部分なのかもしれません。

今日はそんなお話になります。

 

ー今日のお話ー

  1. 眼の疲労
  2. 見たい世界を見る
  3. 眼は口ほどに物を言う
  4. 自分がやりたいことをできないのはなぜ?
  5. 子供の眼
  6. まとめ

 

 

 

眼の疲労

真実を見通す眼

眼の疲労によって、様々な症状が引き起こされます。

頭痛、めまい、肩こり、めまい、自律神経失調症、精神疾患、股関節疾患、膝関節疾患、足部疾患などそれ以外にも細かい疾患も含めればまだあります。

眼とこんな症状まで関係があるの?

と思われるかもしれません。

これらの疾患があるから眼が疲れるのか、

眼が疲れるから、これらの疾患が起こるのか、

いずれにせよ、眼が関係している可能性は高いと思っています。

では、眼の疲労を改善することで、

これらの病状は回復する可能性もあるということになります。

眼の疲労を取る手段としては、

蒸しタオルなどで眼を温めたりすることが一般的には有名ですが、

一時的な対処法にはなりますが、根本的な解決にはなりません。

実際に、僕自身も日常的に患者様に指導する場合がありますが、

それは一時的な対処としての方法です。

 

では、一体眼の疲労とは、なんなのでしょうか?

 

少し大げさではありますが、

僕は、「自分自身の人生を生きているかどうか」ではないかと感じています。

 

 

見たい世界を見る

眼の疲労は見たい世界を見ることで消える

とある眼の専門家の先生から教えていただいたことです。

都会などの場合だと、

一瞬で眼に入ってくる視界情報は約1000万個ほどの情報があるそうですが、

この中で、実際に「見た」と人が認識できるのは1つか2つ程度だそうです。

 

また、僕の師匠の先生からは、

「すでに必要な情報はもうある。あとは自分がそれに気づく眼を持つかどうかだ」

と教えをいただいたことがあります。

これは、違う表現ではあるものの、

お二人とも同じような内容のことをおっしゃっているのではないかと僕は思っています。

僕たちの眼は、

無意識でも「自分が見ようとしたものをみる」という特性があるのかもしれません。

同じ物事でも、

10人いれば、10人の見方があるはずですが、

今の日本は、「人を同じであること」が重要視されて、

「常識的な人間であること」

「人との協調性を持つこと」

を大切にするあまり、本来人それぞれある視点の違いを、

個性として受け入れない社会の風潮があるように思えてなりません。

そうなると、

「あれ?自分はこのことについてこう思うけど、それは大多数の意見ではないから、自分は間違っているんだ」

というふうな思考も出てきてしまいます。

 

今は、「自分が見たい夢を見ること」や「自分がやりたいことをやる」ことよりも、

「人から認められるようにすること」「人が喜ぶように生きること」が良いみたいな時代ではありませんか?

本当は、自分が楽しくもないのに、人のために生きるなんてできないように思います。

自分がやりたいことをやり、自分で自分を納得できる人生を送ることで、

それが結果的に人のためになるのではないでしょうか?

 

人を怒らせないように、人のが喜ぶように、人に尽くしても生きたとしても、

一見素晴らしいように思いますが、

結局は人が喜んでくれても、自分が満たされることはありませんし、

それで人が喜んでくれなければ、

「私はこんなに人のことを考えてるのに…」と感じて、

余計なストレスを感じる結果になり、

人のためにだけ生きることは、誰も徳をしないのかもしれません。

まず「自分が楽しいこと」

これを大切にすることが、人のためではないでしょうか?

眼は口ほどに物を言う

眼は口より嘘をつけない

「眼は口ほどにモノを言う」

口では嘘を言って、眼は真実を語ると言う意味のことわざです。

これは確かにそう言えるかもしれません。

僕は心理学の専門家でも、洗脳の宗教家でもありませんので、

眼の動きで人の心理を読んだり、それを利用するようなことには興味もありませんが、

心理学の専門家は、言葉でのコミュニケーション内容よりも、

人の話す時の、眼の動きに注目してコミュニケーションを取るそうです。

このように、

頭で考えていることと真逆のことを口では言っていたりする人は、

冒頭お話したような、頭痛やめまいなどの不定愁訴や精神疾患、関節疾患などを、

持っている方が多いと思いますが、あなたはいかがでしょうか?

無理をして人の評価を気にしすぎて生きていると、

このような症状を引き起こしやすくなり、

言い換えると、このような症状で悩む方は、

体が「自分の人生を生きていないよ。無理をしてない?」って問いかけているとも言えますね。

そういう場合、薬などでそれを治めることも時として悪くはないかもしれませんが、

体のサインとして受け取って、

「自分の思考や行動のどこに無理があるのか」を自問自答することも必要なのかもしれません。

 

病気であり続けたい人の心理

病気でいたい人

僕は、いつもこのような話を患者様としていますが、

中には、「病気の自分のいたい」人がいるようにも思います。

「え?そんなわけない」

と思われるかもしれせんが、患者さんの心をしっかり観察している先生は、

多分同じことを感じておられる先生はいるのではないでしょうか?

この場合、

「病気になることで満たされる何か」がある、

とも言えるかもしれません。

こういった視点からも自分とコミュニケーションを取りたいですね。

一つ大切なことは、

もし、自分のことを「病気になりたい人」だと思っても、

それ自体は決して悪いことではありません。

病気になって何かに依存することは悪いことではなく、

病気になって何かに依存することを悪いことだと思っている自分がいるというだけです。

なぜ、依存するということにわざわざ病気を使うのか?

そこに課題があるのかもしれません。

 

自分がやりたいことをできないのはなぜ?

やりたいことをやろう

なぜ、人は、

「人に嫌われないように」「人に評価されるように」生きて、

自分がやりたいことをできなくなってしまうのでしょうか?

ここが解消されるとほとんどのあらゆる病気が改善してしまうのではないかと思います。

人のために尽くすこと。

人のために生きること。

これは悪いことでは決してありませんが、

 

現代では、

人のために生きることが正しく、自分の都合で生きることは悪。

人のために生きることは賞賛されるが、自分のために生きることは自己中心的と言われる。

のではないでしょうか?

 

そうです。

僕たち自身が小さい頃から受けてきた教育の弊害が、

「眼が疲れやすい現代人」を作り上げてきたとも言えます。

僕たちは、もうそろそろ、こんな呪縛を捨てて、

自分の人生を歩くべき時がきたのではないでしょうか?

あなたが楽しそうにしている姿に、

あなたの周りは元気付けられ、優しさを感じると思います。

あなたが悲壮感を持って、人のために生きたとしても、

それが周囲に伝わり、お互いが満たされなくなってしまうかもしれません。

まずはあなた自身がやりたいことをやる。

それを大切にして見ませんか?

今もし、

人のことも、何も気にしなくていいとしたら、

あなたは一体何がしたいですか?

ぜひ一度考えて見てください。

そしてそれを一つずつ実践していくことが重要です。

 

 

子供の眼

子供の黒目は大きい

子供の眼をよーく見ると、

黒目の大きな眼をしています。

黒目の大きさとは素直さを示していて、

子供は自分の感情に素直に生きていることと繋がります。

そして、黒目は大人になるにつれて、幸か不幸か我慢することを覚えると、

黒目が少しずつ小さくなります。

子供は、自分の感情に素直なので、

自分のやりたいことを、やりたいタイミングでやり、

やりたくないことはやろうとしません。

僕は、子供のこんな姿をみて、

ここに人生の秘訣を感じています。

ですが現代の一般論からすると、子供のこういうところは決して受け入れられず、

子供だから受け入れられることで、

大人になるに従いそれを理性で封じ込める方法を覚えなければ、

自己中心的な人間というレッテルを貼られることになるでしょう。

これこそが、眼の疲労の原因ではないかと思います。

今からの時代は、

子供のように素直に生きることが大切な時代であると僕は思います。

子供が好き勝手に生きているからといって、それに腹を立てる人はいないと思います。

なぜ、僕たちはこんなにも許容範囲が狭くなってしまったのか。

精神疾患などはそれの極みで、

普通出ない人を区別して、病気というカテゴリーに入れて薬漬けにするというとてもナンセンスなことをしているに過ぎないのです。

子供のように、素直にやりたいこと、興味のあることをやり、

やりたくないことをやらない。そういう感性を大切に生きてみませんか?

一人一人が実践することで、

世界は必ず変わります。

個性を大切にし、他人の個性を受け入れて、

自由な世界を作りましょう。

まとめ

自分の人生を生きよう

いかがでしたでしょうか?

今回は、眼の専門家ではない僕が整体師としての視点で、

眼の疲労に関して考察してみました。

魔の疲労は奥深く、それを考えるとどうしても人生観や、世論、教育、歴史などとの、関連という話になり、

少し「?」な部分もあったかもしれません。

全部がよくわからなくても、一つくらい「なるほど」と思うことがあれば、

ぜひそこを糸口にあなたの眼の疲労を自問自答して見てください。

そして、よくわからなければいつでもご相談ください。

あなたの人生に秘められた可能性が開花することを祈っています。

それでは今日はこのへんで!