おはようございます。
整体庵大空の下大前です。
今日は、みなさんに、
「心と体のつながり」を、実際に身近に感じていただくお話をしたいと思います。
突然ですが、心と体は、別々のものであると理解していませんか?
例えば、「心療内科」と「内科」や、
「うつ病」は心の問題だけど「腰痛」は体の問題というように、
心の問題と、体の問題を分けて考えてしまいませんか?
僕も、体のことを勉強し始めた時は、そうだと考えていました。
例えば、
「重いものを持ちあげて腰が痛くなってしまった」
このような経験をしたことはないでしょうか?
重いものを持ち上げることが、
人に頼まれたことだったとして、
嫌いな上司に頼まれて、重い荷物を運ぶために持ち上げるのと、
大好きでこれから仲良くなりたい女性に頼まれて、運ぶのでは、
全く感じる重さが違いますよね?
大好きな女性に頼まれたら、「ここは男らしいところを見せたい!」となりますよね??
感じる重さが、軽く感じれば、おそらく腰の負担も少ないでしょう。
このような、心のあり方一つで、随分体は変化するのです。
雪山はとても寒くて、寒いのが苦手な人には苦痛でしかありませんが、
スキー大好きな人にとってみれば、ワクワクして寒さを忘れてします。
これは、私たちの生活にあるごく普通のことですよね。
今日は、そんな心と体の矛盾をお話したいと思います。
それではお話していきます!
本音と行動の矛盾とは?
先ほどの重い荷物の例をもう少し分析してみましょう。
嫌いな上司に頼まれた仕事で重い荷物を運ぶことは、
嫌いな上司に頼まれる→やる気がしない(本音は運びたくない)
→仕方なく運ぶ→重い荷物→やらされた感で疲れだけが残る→腰痛になる
ということが言えます。
本音=運びたくない
行動=重い荷物を運ぶ
ここが、矛盾しているわけです。
しかし、
大好きな女性に頼まれて荷物を運ぶのであれば、
大好きな女性に頼まれる→これは男らしいところを見せるチャンス!→本音から軽々運んで男らしところを見せたい!→重い荷物が軽くなる→疲労より満足感
本音=軽々しく運びたい
行動=重い荷物を運ぶ
ここに矛盾はないですよね?
本音と行動に矛盾が生じると、体は疲れて、腰痛はもちろん、精神疾患にも発展していきます。
このように、日常を矛盾の中で生きていないでしょうか?
一度振り返ってみてほしいと思います。
例えば、
- 学校に行きたくない→義務感で行く→不登校になりやすい
- 人間関係が嫌で仕事に行きたくない→義務感で行く→うつ病
- 仕事にやりがいを感じない→イヤイヤやる→腰痛や肩こりに
- 嫌いなママ友との付き合い→仕方なくする→頭痛やめまいに
このようなことってありませんか?
もし、あなたの生活の中で矛盾を解決することができれば、
あなたを悩ます多くの症状を解決することができると僕は思います。
しかし、
多くの人は、「本音と行動の矛盾」はそのままに、
このような症状を改善するためだけに、病院で薬をもらい、整骨院でマッサージを受けたり、していますよね?
矛盾はそのままに、症状を消すだけの治療をすると、
どうなると思いますか?
一旦症状は落ち着いたとしても、矛盾がある限りはまた同じような症状が出てきたり、違う病気として現れたり、もっとひどい症状として現れたりしてくるのです。
であるとすれば、解決するべきは、
あなたに今出ている症状でしょうか?
それともあなたの中にある矛盾でしょうか?
答えはシンプルですよね。
あなたの中にはどんな矛盾がありますか?
自分のためが人のためになる、人のためが自分のためになる
「本音」と「行動」の矛盾についてお話してきました。
では、どのようにして「矛盾」は生まれるのでしょうか?
極論、
自分が好きか嫌いか?の通りに生きていれば、
矛盾は生じないですよね?
「でも、実際はそうはいかない」ことが多いかもしれません。
本音と行動に矛盾が生まれる瞬間とは、
「人が絡むとき」が一番多いんですね。
人の目線、人間関係、人からどう思われるか、人に好かれたい、人に嫌われたくない。
このような思考によって、自分の本心とは異なる行動をとってしまうのです。
とは言っても、
人のことを一切考えずに行動していると、「自己中心的」と言われたり、
人に迷惑がかかることもあるんじゃないの?
そう思いますよね。
以前、お付き合いのある僧侶の方にこんなことを教えてもらいました。
『「人のために行動することは自分のためになる。」
しかし、
「自分のための行動も人のためになる」』
よくこんな風に思いませんか?
「放って置けないからついついやってしまう」
「人の評価を気にしてしまう」
「自分のことより人のことを優先してしまう」
人のために行動するという本当の意味を知っていますか?
人のために行動するということは、
人に喜んでもらいたいからですよね?
喜んでいる人を見て、嬉しくなるのは誰でしょうか?
…そうです。あなた自身なんです。
人のために行動するというのは、
自分のために行動しているということなんですね。
じゃ、あなたが「自分が好きなこと」をやって楽しそうにしていたらどうでしょうか?
そんな喜んでいるあなたを見て、あなたの家族や周りの人は嬉しくなるでしょう。
…そうです。あなたがあなたのために行動して、嬉しくなるのは、あなただけではなく、あなたの周りの人も嬉しくなるんです。
あなたは、人のためだけに生きていませんか?
今まで、人のことばかり気にして生きてきませんでしたか?
もうそろそろ、自分のためにも生きていいのではないでしょうか?
あなたが、自分を喜ばすことができれば、それは人を喜ばすことと全く同じなんですね(^^)
身体は、100兆個の自分と100兆個の他人で出来ている
私たちの体は、個人差はあるものの、約100兆個の細胞で出来ているって知っていましたか?。
でも、100兆個の自分の細胞だけでは、私の身体は生きていくことができません。
私たちは普段、食事を食べますよね?
その食べたものは口と胃で消化されてドロドロになった食べ物は、腸で初めて体に栄養素が吸収されます。
しかし、私たちの体は自分の力では栄養素を吸収できないんですね。
栄養素を吸収するためには、実は、私たちの体にある細胞とほぼ同じ数の100兆個の腸内細菌が必要なんです。
これは、腸内細菌とはいえ、自分の体の中にはない細菌たちです。
この細菌たちのおかげで、私たちは食べたものをちゃんと栄養素として体内に吸収できるんですね。
私たちは、100兆個の自分の細胞と、100兆個の他人(細菌)で生きることができるんです。
だから、自分のことだけ考えて、他人を喜ばすことを忘れてもダメなんです。
そして、
他人のことだけ考えて自分を喜ばすことを忘れてもダメなんです。
自分と他人、どちらも楽しくて初めて、生きていけるんですね。
あなたはもしかしたら今まで、人のために生きて、さらに自分を犠牲にしてまで人のために生きていませんか?
自分が犠牲になってしまうと、人に喜んでもらうことってできないかもしれません。
自分が犠牲になっているということは、
自分は楽しくありませんよね?
楽しくない自分を見て、あなたの周りの人は、どう思うでしょうか?
あなたの周りの人は、あなたの嬉しそうな顔に喜ぶんです。
そして、
あなたは、周りの人の嬉しそうな顔を見て、嬉しくなるはずです。
『「人のために行動することは自分のためになる。」
しかし、
「自分のための行動も人のためになる」』
大丈夫。
何歳でも、人は一瞬で変わることができます。
今この瞬間から、自分を喜ばしてあげましょう(^^)
そして、周りの人も喜ばしてあげましょう(^^)
まとめ
今日は、「本音」と「行動」の矛盾についてお話しました。
今、多くの人が、この矛盾に苦しみ、様々な治療法のない症状に悩んでおられます。
時代が時代だから本音で生きられないのでしょうか?
確かに、人の粗探しが大好きな人もいます。
人の否定ばかりをしている人もいます。
もし、
あなたが今悩んでいること、囚われてしまうことを、
違う国の人が聞いたらどう思うだろう?
150年前の人が聞いたらどう思うだろう?
150年後の人が聞いたらどう思うだろう?
今、歴史上の偉人と呼ばれる人は、その当時は時代の常識に反して生きた人です。
その代表として、あの「坂本龍馬」がいます。
坂本龍馬は、当時死罪とされた大罪である
脱藩(藩を許可なく出ること)をしたり、
武士としてはあるまじき行為である彼女と手を繋いでデートしたり、
犬猿の仲であった薩摩と長州を結びつけたり、
ただの脱藩浪人が、現在の大臣に当たる、軍艦奉行に弟子入りしたり、
その行動の全てが、常識はずれも甚だしいものでした。
そして、その派手な行動の結果、日本を改革することに成功しましたが、30代前半で暗殺され、その短い人生を閉じました。
しかし、150年以上たった現代で、
当時は究極に常識はずれな行動ばかりしていた坂本龍馬は、
歴史上の英雄とされ、
その行動は喝采を浴び、龍馬がいなかったら、今の日本はないとまで言われています。
あなたは、今まで自分を犠牲にしてきたかもしれません。
人のために、人にどう思われるかだけを考えて生きてきたかもしれません。
そろそろ、あなたの常識をひっくり返して、
あなたが楽しいこと、嬉しい気持ちになることを大切にしてみてもいいのではないでしょうか?
「あなたの人生の新たな幕開けが今この瞬間始まった!」
そんなきっかけにこのブログがなれば僕は最高に嬉しく思います。