おはようございます。
整体庵大空の下大前です。
先週、とても残念なニュースが飛び込んできました。
「エベレストにチャレンジ中の登山家、栗城史多さん死亡(享年35歳)」
登山をしない方は名前を聞いてもわからないかもしれませんが、
栗城さんの言葉、行動には多くの学ぶべきメッセージがあって、
僕は、以前から尊敬している方の一人で、
何度かお話を聴きに行かせて頂いたことがある人です。
今日、
僕がお伝えする事は、栗城さんの言葉をお借りして、
不安、恐怖、孤独、喪失感、価値、比較、無駄についての思考、
そして、
これら否定的な感情が作用して引き起こされる不安症や自律神経失調症などの心身の不調の原因について、
お話したいと思います。
栗城さんのことをご存知ない方もいらっしゃると思いますので、
少しだけお話します。
栗城さんは、登山家ではありますが、
ただ山を登るのではなく、
「冒険の共有」をテーマに、自身が登山する様子を、
ネットを通じて世界中の人と共有し、
自分が困難にチャレンジする姿、失敗する姿を共有しながら、
世界中の人がそれぞれ持つ夢を応援するという活動をされていました。
栗城さんは、
もともと引きこもり気味な性格で、
大学卒業後もニート生活を送っていたことから、
テレビでも「元ニートのエベレスト挑戦」と題されて放送されていたこともありました。
エベレスト以外にも、
世界7大陸最高峰を「単独、無酸素」というスタイルで登頂を目指すことにこだわり登り続けた栗城さん。
普通、
平地と比べて酸素が3分の1しかない8000m級の山に登るには、
数人のチームで荷物を分担し、ロープで安全管理を行いながら、酸素ボンベを背負って登りますが、
栗城さんは食料や燃料はもちろんネット中継に必要な機材も、全ての荷物を一人で背負い、
しかも酸素ボンベを持たずに登るという、とんでもないスタイルで、挑戦を続けてこられました。
さぞかし、ゴリラのような屈強な山男と思われるかもしれませんが、
栗城さん162cm60kg程という、かなり小柄な男性で、
お会いした時も、細身で、小さく、腰が低い、
街であってもどこにでもいそうな優しそうな兄ちゃんという風貌です。
栗城さんは、
そんな普通で、小柄で、引きこもりで、ニートな自分でも、
夢にチャレンジし続ければ必ず道は開ける!ということを、
世の中に発信したかったのだろうと思います。
「否定という壁への挑戦」
と、栗城さんはおっしゃられていました。
栗城さんは、その無謀とも言えるスタイルで、
誰もしたことがないことにチャレンジし続けていたこともあり、
常に否定的な意見を言われ続け、
特に登山界からは冷やかな目で異端児扱いを受けていました。
その否定的な意見は、
あまりにひどい言われようなので、割愛しますが、
相当その挑戦には否定的な意見を言われていたようです。
でも、いつの時代も誰もなし得なかったことにチャレンジする人は否定されるものです。
現在メジャーリーガーで、
100年ぶりとなる二刀流で活躍して周囲を黙らせている大谷翔平選手(エンジェルス)も、
以前、投手と打者の二刀流にチャレンジしていて、
多くのプロ野球関係者から「投手か打者、どちらかにしろ」と否定的な意見をたくさん浴びせられていた時も、
「たくさんの偉い方々が僕のことを否定して頂くほど、僕の挑戦の価値は高まると思います」
と言っていました。
栗城さんも、否定的な意見が多いほど、
その壁を超える価値を見出していたのかもしれませんね。
不安と安定
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安定を求めるほど、不安になる。
世の中は常に変化し続けるもの。
変化を恐れるのではなく、自ら変化していこう。
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人は、安定を探し求めています。
お金の面での安定。
身体や心の安定。
誰しもが、不安など抱えて生きていたくはないと思うはずです。
しかし、
はっきりと断言できますが、安定は幻想に過ぎません。
砂漠でオアシスの幻想をみるのと同じで、
あなたにとって完璧に安定した状態など存在し得ないのです。
みんな、不安を解消するために安定という幻想を求めて彷徨っているのです。
この世の全てのものは、
常に変化し続けるものしかありません。
人間を含めた動物も、
建物も、自然の山や川も海も、
この世の眼に映る全てのものは速さの差こそあれ、
変化し続けるというのが、唯一変化しないこの世の真実です。
その中で、安定を求めるというのは、無理なお話なのです。
ではどうするべきなのでしょう?
2つあります。
それは、
変化を受け入れ、自らを変化させていくことです。
それを「成長」と言います。
もう一つ。
不安を感じるということは、
今あるものを失いたくない。という心が必ず存在します。
失いたくない=今はある。
つまり、
今が満たされている。ということなのです。
これを先人は、「足るを知る」と表現しました。
栗城さんのように、
8000mを無酸素で登り、地上に帰ると、
空気があることに感謝の念が止まらないそうです。
酸素があること、
温かいご飯があること、
綺麗な服を着れること、
お風呂に入れること、
生きて仲間と語り合えること。
その全てが、当たり前じゃないことを登山が教えてくれた。
栗城さんは著書の中でそう言われていました。
不安に感じ、心身が不調になるのは、
もうすでに、あなたにとって必要なものは全てあるからこそ生まれる感情であることを理解しなければいけません。
不安を感じれることに感謝したい。
そう思えたなら、
不安を受け入れ、自ら変化できているでしょう。
不安だと答えが欲しくなる
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「答え」は、すでに出ているもの。
考える前に、すでに答えは出ている。
大切なのは、その答えを感じ取れるかどうか。
自分の心の答えに素直になろう。
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生きるということは、日々何かの選択を迫られることでもあります。
でも選択するとき、
人はその答えが正しいのかどうか、不安になることが多いはずです。
様々なことに考えを巡らせては必死に「答え」を導き出そうとする。
でもその前に、実は答えが出ているのではないでしょうか?
あなたの心が感じる答えは、意識して考えなくても浮かぶもの。
その答えに素直に耳を傾けてみはどうでしょう?
頭で考えるほどに、無駄な情報ばかりが入ってきて、
余計に迷って、不安になることも多いはずです。
大切なことは、
メリットやデメリット、損得ではなく、
あなたの心が何を求めているか?
ということです。
損得の価値観ほど、どうでもいいことはありません。
そのとき得を選んでも、
あなたの心の答えと違うのであれば、
いずれそのことがあなたを苦しめ、そこで大切なことに気づかされるだけの話です。
あなたの心は、何を求めていますか?
「満たされない」だからいい
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どうすれば人間が幸せになれるのか。
それは、
満たされないことが、幸せだと理解すること。
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人間は欲のある生き物。
欲するものを求めては社会が発展し、
その大半は満たされたことによって、
その先の目的が見えにくい社会になり、
少し元気のない人が増えてきました。
70年前はほとんどいなかった鬱や不安症などの精神疾患が激増しています。
しかし、
栗城さんが登山でよく行く国は、
ネパールなど日本よりは貧しい国。
その国の人々は、
その日その日を生きることに必死にも関わらず、
断然日本の人よりも明るく、元気に暮らしているそうです。
それでも私たちは、
満たされない心を満たすためにはどうすればいいか?
を考えたり、
満たされないことを不満に思い愚痴を言ったりします。
でも、本当に満たされることは幸せなのでしょうか?
物も、お金も、健康も、
何もかも自分の思うままにしようと、
それを求めることによって、大切なことを忘れていませんか?
食べ過ぎれば病気になりますが、
少食によって起こる病気はありません。
何事も過ぎれば、駄目になるのです。
足りないというのは、人間の生命力を高めてくれることでもあります。
栗城さんが登ってきた8000m峰の山では、
食べるものもなく、
気温も信じられないほど寒く、
風は強くて、
酸素もない。
でも、そんな環境では、
身体中の全ての細胞が目を覚ましているような感覚があるんだそうです。
「不便で苦しい環境」は、生きていることをより実感出来る。
満たされない。ということは、
最大の贅沢なのかもしれません。
満たされたいと悩み、不安になる前に、
今あるもの、足りていることに眼を向けることも出来るはずですよね?
僕は、
いい車に乗ることより、いい家に住むことより、
毎日、奥さんと息子と笑えることに幸せを感じていたい。
毎日、寝て、起きて、食べれることに感謝出来る、人間でありたいなあと思います。
まとめ
栗城さんは、
8度目の無酸素単独エベレスト登頂を目指し、
登頂は出来ることなく、その命は尽きてしまいました。
栗城さんは、
常々、「生きて帰ること」「登頂に執着しない」と周囲に言われていたそうですが、
最後の最後、
自分が作った壁を登ることに執着したことで、
山の神様が怒ったのかもしれません。
ネットなどでは、
栗城さんのことを叩く人や専門家がいますが、
本人が正しいと思うこと、やりたいことを貫き通して逝った人を批判する人は、
多分、
その人は自分のやりたいことをやれていない人なんでしょう。
誰も、批判も肯定もする権利はありません。
僕は、栗城さんという人を通して、
自らの考えを鑑みて行くしかないと思っています。
僕にとっては、とても学びの多い方であり、心から尊敬出来る人でした。
栗城さんは、死んでも、そのスピリットは死にません。
最後に、自分が死ぬことで、
栗城さんが伝えたいメッセージがあったようにも思えてしまいます。
栗城さんの言葉でもっと伝えたいこともあるので、
また機会を改めて、みなさんにお伝えできればと思います。
それでは今日はこの辺で!