こんにちは。
今日は近視についての続きです。
前編はこちらです↓
前回は近視について一般的なことを書きました。
今回は普段、近視について自分が感じることを書いてみます。
とはいえ、僕の想像によるところも多く含み、客観的に証明できるような話ではないので、その辺りはご理解ください。
近視による視野の狭さ
近視は「近距離をみることに特化した眼」でもあり、僕も小さいころはテレビゲームなんかが大好きでしたが、今はスマホやゲーム、勉強、いろいろ近くを見る機会が幼児期から多いので、近視は増えているそうです。
近くのものをみて集中しやすい環境なので、近視の方は遠くはボケてきます。
これと視野の関係があるのでは?と思っていて、視野といっても物理的に視野が欠けたり狭くなるわけではないですが…
ここでいう視野は、見えている視界の範囲というより、様々なモノゴトが目につくとか、見えているものの裏側とか、内面を察するとかそういう意味合いでの視野です。
例えば、スマホに集中していて、話しかけられても聞こえていないとか。
棚の外はきれいに掃除してピカピカだけど、棚の中はぐちゃぐちゃとか。笑
ある意味、見たいところを見たいように解釈しがちで、それ以外の部分に対する視野が狭くなりやすいと思っています。
これは眼というよりも脳の働かせ方とも言えそうで、昔に解剖学の先生から「眼は体表に露出している脳の一部」と教えられたことがあるので、そういうことなんでしょう。たぶん。
ボヤけるから見ようともする
だけど一方で、近視は遠くがボヤけてみえにくいですけど、「みえにくい」とみようとしたりもします。
何かで覆われているとその裏が気になったり、隙間があると覗きたくなったりは子供も大人もみんなするので、人間の本能的行動なんだと思います。
みえていると、その見えている中の見たいところに着目してしまう傾向があるのかもしれません。
ほとんど妄想っぽい仮説ですが、近視眼的に視野が狭くなった時(近くのものを見続ける環境になった時)みえにくいという経験をすることで、視野を広げるという仕組みが人間にはある?とか思うと、ちょっとワクワクします。笑
そんな可能性もあるのかもしれません。
近視と身体の緊張
視野が狭くなると、みたいところに着目していて、ある意味ではこだわりが強く、執着が強くなったり、逆に自分がみたくない(見る必要がないと思っている)ところには眼を向けたり、ピントを合わせることをしなくなることも。
視力や視野が変化することは、自分がみたいところ以外も見えてくることでもあって、そうなると脳は「違和感」を感じますが、この違和感が大切だと思います。
違和感に視野の広がりや、本当の意味でのリラックスが含み込まれていると思っていて、違和感を避け、みたいところだけの世界に固執すると、身体の過緊張を生み、疲れやすくなるような気がしています。
自分がみようともしていなかったところをみる体験は、ワクワクや驚きと同時に、困難やストレスともいえる体験を含んでもいて、ちょっとしんどいなと思うこともあります。
視野の狭さを気づくことは、視野が広がることでもあるけど、自分の視野をどう活かしていくか?というところも人生のおもしろさかなとは思います。
個人的には脳や身体の「違和感」に注目していきたいと思っていて、自分に合った眼鏡は視野が広がる手助けにはなりますが、眼鏡が視野を自動的に広げてくれるわけではないので、自分の興味のあるもの以外にもさまざまなモノゴトや人と関わりを持っていくことも、リラックスにつながると思います。
色々妄想混じりのことも書きましたが、そんなようなことを、近視という状態から感じたり、想像しています。
なにか多少なりご自身を客観的にみる機会になれば幸いです。
今日は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!