2020年9月4日 天気は恵の雨ですね(^ ^)
先日、
家族で久々のキャンプに行ってきました。
そこで、感じたこと率直に書いてみたいなと思います。
上の焚き火写真は、
その時のものです。
そして、
下の画像は自宅のLEDの室内灯です。
どちらも周囲を照らす灯りであることには変わりはありませんが、
利便性では圧倒的にLEDですし、しかも省エネですし。
最近はLEDライトの価格も下がってきたので、
現代の明るく光るものはほとんどLEDになってきましたよね。
それと比べると、
焚き火というのは料理もできる利点はあるものの、
灯りとしてはLEDと比べて圧倒的に暗いですし、
いちいち火を起こす必要はあるし、
燃料となる薪がないと出来ません。
そもそも、都会の家庭では匂いや煙の問題で出来ないです。笑
とにかくどこを取ってもLEDよりは基本的には不便です。
ただ一点だけ焚き火が良いな!と思うのは、
眼に優しい。
僕もキャンプの時しか焚き火はしないですが、
焚き火の炎はずっと観ていても平気ですが、
LEDのライトは眼に刺さるというか、目が痛いですよね。
なぜか焚き火を観ていると、
何か普段知らない間に張り詰めている『自分の中にあるなにか』が、
フッと緩むような感覚があります。
これは焚き火でないと感じられないかもしれないです。
本当に、皆さんにも感じていただきたいいんですよね。
近い将来、普段焚き火なんてしないし、アウトドアなんか縁がないという人でも、
来やすい場所を創りたいなと思っています。笑
LEDがだめな訳でなく、
焚き火が良いという訳でもなく、
ただ、お互いがお互いにはない良さを持っていて、
全く違う2つのものだからこそ、それぞれの良さが光り、2つは調和できる。
そんな気が焚き火をしていて思うところです。
普段がLEDだから焚き火の良さがわかるし、
日常が焚き火だったからこそLEDというものへと発展してきたこともまた事実です。
世の中では、
みんなが同じようにすること。が調和だと思っている方がほとんどかもしれません。
ですが、
本来はみんなが違う。からこその調和であって、
調和しようとみんなが同じ形を目指そうとすることこそが、
一番調和しない状況を創っている。
それが、今の現代社会なのかもしれません。
窮屈すぎてなんだか息が詰まりますね。
『朝起きて、ただ焚き火の前でコーヒーを飲む。』
たったこれだけで幸せだなと感じることができます。
そういう経験って日常にはなかなかないなと、僕はすごく感じます。
皆さんは、ほんの何気ないことに幸せを感じますか?
幸せとはなろうとするものではなく、
幸せが今ここにあることを気付く感性のことなのかもしれませんね。
僕たちが、
普段行動していることの原動力はなんだと思いますか?
多くの場合、
不安や恐れ、不足感。という感情が原動力になっていることはお気付きですか?
- 病気にはなりたくない。だから◯◯をしておこう。
- お金がないとやっていけない。だから◯◯しなくちゃ。
- 将来こうはなりたくないから、今◯◯しておかないと。
よくよく考えると、
僕たちの普段の行動の原動力って、
楽しい!とか、面白い!ではなく、
ほとんどが不安や恐れ、不足感になりがちですよね。
不足感や不安が原動力であって、本心で楽しくてやっていることではないと、
人は疲れます。
いやいややっていることって肩こりませんか?
肩がこれば整体に行こう!ってなりますね。
整体で肩こりを取ることはさして難しくはないですが、
それをしたところで、
その人自身が肩がこる日常を送っている限りまた肩はこりますよね。
僕は整体師ですが、
ただ症状を改善することには意味がないというか、
返って悪くさせることもあると言い続けている理由はここにあります。
肩こりを改善することよりも、
その人自身が肩がこる生活をしなくちゃいけないのはなぜなのか?
を考えていくことに意味があると僕は考えて整体をしています。
僕の整体を受けて肩こりが良くなった!というよりも、
肩がこらない日常を送ってほしい。そんなふうになっていけたら良いなと思っています。
普段の生活ではつい、
何かが足りないとか、不安だから早くこうしなくちゃ!みたいなことばかりで、
張り詰めがちですが、
そんな緊張をフッと緩めて、今ここにある幸せを感じるきっかけになってくれるのが、
僕にとっては「焚き火」です。
皆さんも、
機会があれば一度焚き火やってみてください。
普段の生活を焚き火メインですることはいやですが。笑
たまにやるととても良いもんですよ(^^)