こんにちは。
今日は目と身体の関係についてのお話しです。
僕は患者様にときどき「目が良くないから、野澤先生(視覚行動研究所)にみてもらった方がいい」というケースがあります。
野澤先生↓
今年から僕も本格的に目の勉強を初めて、来春からは目の専門学校にも通信で通う予定です。
勉強をはじめて、まだまだみえてない・わからないことが多いですが、今までよりかは目と身体の関係性がみえてきました。
来週11/22に、僕の師匠でもある先生方(宮島充史先生、野澤康先生)とさらに専門的に目を学ぼうという講座をさせていただきます。
こんな講座です↓
https://www.instagram.com/p/CyFd0aBywe1/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=ODhhZWM5NmIwOQ==
専門的&マニアックな講座ですが、興味があれば一般の方の参加も可能です。まだ数名なら可能なので、もし参加したいという方はご連絡ください。
この講座では、講師として登壇させていただきますが、たぶん僕が一番話を聞きたいし、学びたいくらいなので、しっかり講座をやり遂げたいと思っています。
でも、患者様からするとそもそもなんで「目」と身体が関係あるの?
って話なので、今日は僕がどういう理由で目に興味を持ったのかを、実例を交えつつお話します。
実際は患者様お一人お一人の現状をみて、紹介させて頂いていますが、今日はブログなので少し抽象的になりますが、目の話をしてみます。
例えば、今まで自分がみた眼鏡による変化にはこんな感じの変化がありました。
・肩こりや頭痛、めまいが楽になる
・背中や腰の張りが消える
・ヘルニアの痛みが楽になる
・股関節の柔軟性が上がる
・人と話す、話しかけられる機会が増えた
・乗り気でない誘いを平気で断れるようになった
・異性の好みが変化する
・子供ができる
その他もまだまだあるのですが、良くある変化だけでもこんな感じです。
一般的には「?」なこともあるかもしれませんし、とくに異性のタイプが変化したり、子供が出来たりとかはにわかに信じがたいような変化ですが、
これらは空想の話ではなく、実際に目の前でみた変化で、患者様が実際に体験したことです。
こうした変化は科学的な根拠にはかけるので、科学的証拠のあること以外は真実ではない!という方には懐疑的見えるかもしれませんが、一つの事実としてこうした変化はあるので、今後科学的にも考察されるといいですね。
今まで、僕もこうした変化は結果的あっても、その原理までは想像もできなかったのですが、少しずつその理由もわかり始めています。
まだまだわかった!とは言えませんが、いつか根拠を持って皆様にお話しできるように探究を続けていきます。
なので、今日は知識的に学んだことも含みつつ、考察してみます。
目の良し悪し=視力の良し悪し。と捉える方が多く(僕もそうだと思ってた)、視力1.2くらい見えていれば「良い目だね」と言われますよね。
でも、実際はこの視力は「片目ずつ」の検査で、しかも見ようとした中心がくっきり見えているかどうかで、周辺視野がどれだけ見えているかは、考えられていません。
視力1.2とかの視力を中心視といい、それ以外の部分を「周辺視」というそうです。
周辺視の視野に対して、中心視は1%ほどの広さしかなく、いくら視力が2.0でも、その視力で見れるのは視野全体のわずか1%の範囲しかみれません。周辺視の視力は0.1程度かそれ以下なので、どれだけ視力が良くても周辺視の視力はほとんどぼやけてみえません。
じゃ、周辺視なんかいらないじゃん。ってなりそうですが、真逆。
もし、僕たちの視野が今みえている空間から周辺視が真っ暗になればどうでしょうか。
視野の1%ははっきりと見えますが、
周辺はみえないので、たぶん怖くて階段昇降はできないし、まっすぐ歩くことすら難しくなります。
僕たちの目は実は周辺視(無自覚的な視野)がとっても重要で、ここが見えているかどうかは、無自覚なので、自覚することは困難です。
野澤先生の検査は、もっと奥深いのですが、簡単にいうと中心視含め視野全体を両目でみれているかどうか?(両眼視機能検査といいます)を検査しています。
僕たちが日常動作は、周辺視(無自覚)と中心視(自覚)に頼って運動をするので、その見え方によって、身体のバランスや内臓、無自覚的思考などまで影響があるのは、理解しやすいのではないでしょうか?
冒頭に、目による身体的変化を箇条書きにしましたが、あれだけみると、なんか良さそう!となるかもしれませんが、実は野澤先生の眼鏡をかけると、特にかけ始めたときの見え方は違和感があることも多いです。
人によっては30分もかけていられないという方もいました。
今まで、自分がみていた見え方が一変するので、当然しんどいです。
これは見え方だけではなくて、自分が着目しているもの自体も変化するので、今まで目を逸らしてきた自分の課題や、ストレスと向き合うこともあり、そうした意味でのしんどさである場合もあります。
同じ悩みを繰り返す、同じケガを繰返すというのは、乗り越えるべき課題を超えて成長することを避けているというケースもあるかもしれません。
僕自身が、そうでした。
自分の課題から目を逸らし、ごまかし続けて、痛感させられた出来事があります。
こうした気づきを得れたのも、「目」を学び始めてからでした。
目を学ぶ(目でなくても皆様日頃取り組んでいることも)ことの奥深さは僕が思っているより遥かに奥深くって、それらは自分を成長させてくれます。
ここから先は僕の妄想です。話半分以下で聞いてください。
こうした事実を垣間見ていると、病気やケガ、そして日常でのトラブルやストレスは自分自身の成長を促してくれる機会になっているのかもしれないと思わされます。
そして、自己の成長と共に病気が結果的に改善したり、他者が変化してストレスがストレスで無くなってくる。ということが起きているのかもしれないです。
単に病気はなるべきではないもの、予防すべきものとして捉えられ、その大前提で医学の探究自体が行われていることは事実で、医学の発展による恩恵も多々僕たちは受けていることも事実。一方で、反面では医療の発展とともに病気に対する恐怖心が増大していることもまた事実と言えます。
常識的な見地では、病気のごく一部を病気の全てと捉え、みえなくなっている部分もあるような気がします。
そうだとすると、身体の働きとして、病気になることの必要性があるのかもしれません。
今日は目と身体の、さわりの部分をお話しました。
また機会をみつけて書こうと思います。
今日は11月17日、早朝から大雨です。
またこの雨でひとつ寒くなりそうですね。これからの年末年始に大好きな季節です🎅🎍☃️
しっかり寒さを楽しみたいですね!
今日も良い1日をお過ごしください😊