整体庵大空の、下大前です。
今日は、
不安症・パニック障害を引き起こす原因になる「依存心」について書いてみたいと思います。
僕は、日頃不安症やパニック障害、自律神経失調症だという方々の整体を行なっていますが、
その中で、色々な「依存心」に触れます。
「依存心」という言葉に、皆さんはどういう印象をお持ちでしょうか?
「薬物依存」といった言葉に代表されるように、
どこかマイナスなイメージがあるかもしれませんね。
どう捉えても正解なのですが、
僕個人の捉え方は、「人は何かに依存して生きていく」のではないかと思ったりしていて、
決して悪いものではなく、人間という生物の本能ではないでしょうか。
依存心というのは不思議で、
自分の心や思考に「依存心がある」と思えれば特に問題にはならないのですが、
自分が何かに依存していることに気づいていない状態がもっとも不安定で、
このような時に不安症やパニック障害といった症状を引き起こしやすいのです。
日頃、不安症だと自覚する人とお話していても、ほとんどのケースで「自分が依存している」ことに自覚はありません。
しかし、不安症やパニック障害の症状が回復して来る頃には、なぜか以前の「依存していた自分」を冷静に振り返ることができてしまうのです。
僕は、「人は依存無くしては生きていけない」と思っているところがあるので、
一般的に言われるように、「何かに依存してはいけない」と思いませんし、
患者さんにも、依存を辞めるような指導はしません。
薬物に依存する人もいれば、食べ物への依存心を強く持つ人もいますが、
実際には依存心は様々な側面があります。
ここで実際の事例を交えつつ、依存心には色々な表現法があるということをみてみましょう。
依存心とは?
薬やタバコ、砂糖への依存
これが、依存と聞いてもっとも代表的なものかもしれません。
日頃、満たされない何かがあると人はどうしてもそれを満たそうとするあまり、
代わりを求めます。
薬やタバコ、砂糖にはそれ自体に中毒性がありますので、
一度始めるとなかなかその強い中毒性から脱することは難しくなります。
このような依存の場合、やめようとすると、薬やタバコ、砂糖がダメなものだからやめようという話になりがちですが、
実際はその行為が問題なのではなく、
「タバコや薬を取らなければ満たされない何かがある」ということが、
問題ではないでしょうか?
もちろん薬物などは法律で禁止されているものもありますので、
ダメなものはダメと言われればそれまでですが、
少なくとも、生きている過程で自分が満たされていないと感じたことがきっかけなのであれば、そこをはじめに自己分析する必要がありそうですよね?
社会への依存
社会への依存というのは、少しわかりにくいかもしれませんが、
社会で認められたいという欲求が根底あると、
何かミスをして責められたり、会社をクビになったりすると、
たちまち自分が、社会から必要とされていないと感じてしまい、
不安症やパニック障害という症状を引き起こしやすくなります。
しかし、これはそもそも社会に認められたい、
社会に認められなければ自分という存在を自分が認めることができないという、
「社会に対する依存心」があるからこそ、不安症などの症状を引き起こすわけです。
一体社会に認められるとはどういうことなのでしょうか?
そもそも社会に認められることが幸せなのでしょうか?
このような場合、自分で自分のことが嫌いで、認めたくないという意識がさらに深い部分では見え隠れします。
だからこそ、社会に認められることで、初めて自分を認識することができるのです。
こうなると、自分がやりたいことや、好きなことよりも、
どうすれば社会に認められるか?ばかりに意識が向いて、肝心の自分自身を見失っちゃいますよね。
努力感に依存
これはスポーツや仕事においてつい陥りがちな依存心です。
「努力」という行為はあってもいいと思いますが、
「努力感」や「頑張った実感」は時として、
それは結果を生むよりも、単に、自分自身の精神を安定させる効果しかありません。
スポーツの精神主義などはこれの典型例と言えます。
スポーツでも仕事でも、「努力感」に依存してしまうと、
常に努力している自分にしか安心感を得られず、
常に何かに努力していないと不安に陥ってしまいます。
僕たちは、学校で「努力しなさい」と教えられてきました。
確かに大切ではありますが、
その努力が自分が実現したいことに向くのではなく、いつしか
単なる精神の安定剤になってしまっている場合があります。
努力とは、努力している人にとっては努力ではない側面があり、
外から見ていると努力に映るだけかもしれません。
体操の内村航平選手は小さい頃朝から晩まで、トランポリンを練習して、
疲れたらトランポリンで寝るという生活をしていたそうです。
それは僕たちからすると努力に見えますが、おそらく当時の内村選手は、
これを努力と思ってはやっていないでしょう。
単にトランポリンが楽しかったからやる続けていたはずです。
僕は患者さんにいつも努力していると思ってやっていることがあれば、
その時点で無理をしているかもしれませんねとお伝えしています。
家庭での依存
これも様々なパターンがありますが、
代表的なのは、家族のために忙しくしているお母さんです。
以前、来られていた患者さんで、
「もっと旦那にも、子供達にもやってあげたいことがあるけど、
自分が不安症で動けないことがありそれが辛い」
とおっしゃる女性がいました。
少し話を聞いていくと、
この方の家族は、このお母さんに「もっと家事をしてほしい」とは
思っていませんでした。
むしろ、「家事は僕らがやるからお母さんは休んでいて」と言われるそうです。
本当は、
お母さん自身が、自分の存在を感じたいために家族に何かをしてあげたいという心理が働いています。
このお母さんにも、このような話を少しづつ説明し、
はじめは戸惑いがありましたが、自分の本当の思いに気づき、自分を冷静に見つめることができるようになると、
不安症の症状は消えていました。
このような事例は他にも数多くあります。
大切なことは、「家族に認められようと」想い行動することが決して悪いことではなく、
ただそういう自分がいるということがわかるだけでいいんです。
それは決してダメなことではないのです。
もっと言えば、家族はお母さんという存在がいて、自分たちのことを一番に考えてくれてさえいれば、
その背中から何かを感じ取るのではないかと思います。
依存することは当たり前
自分を取り巻く様々なものに依存する一例を見て見ました。
いかがでしょうか?
どこか自分と重なるなと感じられたことがあったでしょうか。
繰り返しになりますが、依存することは決して悪いことではなく、
むしろ、「依存することは悪いことだ」と思っていることに問題があるのかもしれません。
一生誰かに依存せずに生きることができた人は、人間には1人たりともいないと思います。
ただ、「そんな自分を認めてあげればいい」
それだけではないでしょうか。
何かに依存して生きていたのかもしれない…と気づくこと。
それだけで何かが変わり始めるはずです。
体を整えると依存心を自覚できるようになる
非常に不思議な話ですが、
体を整体で整えると、自分が気づいていなかった依存心を自覚することができるようになってきます。
もっと言えば、体が整うことで「何かに依存してきた自分」を客観視できるようになり、
そのことがきっかけで不安症やパニック障害、自律神経失調症が改善し始めます。
心と体、体と心は2つで1つであり、
決して別々なものではありません。
あなたがもし、
不安症で精神科に通っている、
専門のカウンセリングを受けてみた、
それでも改善がなく、困り果てているのであれば、一度僕に会いにきてください。
何か人生の視点が変わるきっかけになるかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?
今日は、
依存心を自覚することで、不安症やパニック障害は改善し始めるというお話でした。
少し人によっては難しい話だったかもしれません。
それでも、ぜひ自問自答して見てください。
あなたが不安症などに左右されず、あなたがやりたいことをやり切れる人生になることを祈っています。
それでは今日はこの辺で!