こんにちは。
今日は2025年5月9日ですね。
近視についての続きです。
前編↓
前回は近視について一般的なことを書きました。
今回は普段、近視について自分が感じることを書いてみます。
とはいえ、僕の想像によるところも多く含み、客観的に証明できるような話ではないので、その辺りはご理解の上お読みいただければと思います。
近視による視野の狭さ
近視は「近距離をみることに特化した眼」でもあり、僕も小さいころはテレビゲームなんかが大好きでしたが、今はスマホやゲーム、勉強、いろいろ近くを見る機会が幼児期から多いので、お子さんの近視の割合は増えているそうです。
近くのものをみて集中しやすい環境で、近視になると遠く方はボケてきます。
これと視野の関係があるのでは?と思っていて、視野といっても物理的に視野が欠けたり狭くなるわけではないですが…
ここでいう視野は、見えている視界の範囲というより、様々なモノゴトが目につくとか、見えているものの裏側とか、内面を察するとかそういう意味合いでの視野です。
例えば、スマホに集中していて、話しかけられても聞こえていないとか。
棚の外はきれいに掃除してピカピカだけど、棚の中はぐちゃぐちゃとか。
ある意味、見たいところを見たいようにみて、解釈したいように解釈していて、それ以外の部分がみえず、視野が狭くなりやすい気がしています。
これは眼というよりも脳の働きとも言えそうで、昔に解剖学の先生から「眼は体表に露出している脳の一部」と教わったことがありますが、そういうことなんでしょうね。
ボヤけるから見ようともする
だけど一方で、近視は遠くがボヤけてみえにくいですけど、「みえにくい」とみようとしたりもします。
何かで覆われているとその裏が気になったり、隙間があると覗きたくなったりは子供も大人もみんなするので、人間の本能的行動なんだと思います。
みえていると、その見えている中の見たいところに着目する傾向があるのかもしれません。
ほとんど妄想っぽい仮説ですが、近視眼的に視野が狭くなった時(近くのものを見続ける環境になった時)みえにくいという経験をすることで、視野を広げるという仕組みが人間にはある?とか思うと、ちょっとワクワクします。
そんな可能性もあるのかもしれません。
近視と足の関係?
少し視野とは話は変わりますが、見え方の変化は、「立つ」「座る」ときの重心位置にも関係しています。
具体的にはまだまだわからない部分が多いのですが、近視の方は目の調節力が働きにくく、両目を寄せる(輻輳)が働きにくくなると、足の重心がズレやすいので、適切なメガネをかけることは足にも大なり小なり影響を与えているのだろうと考えています。
このあたりは僕自身が今後目の検査を進めるにあたり、もっと詳細にみたいことの一つですし、そうなればいろんな専門家の方とも意見交換してみたいことでもあるので、まだまだ不確定要素たくさんなんですが、メガネをかけるかけないで、重心位置が変化しているのは日々感じています。
なので、逆の話で言うと、足の状態によって身体、あるいは眼にも影響を与えている可能性も高いのでは?と思っていて、適切な足の状態を保つこと(適切なサイズの靴を履くとか)も単に足の問題だけではないと思います。
近視と身体の緊張
視野が狭くなると、自分がみたいところに着目していて、ある意味ではこだわりが強く、執着が強くなったり、逆に自分がみたくない(見る必要がないと思っている)ところには眼を向けたり、ピントを合わせることをしなくなることも。
視力や視野が変化することは、自分がみたいところ以外も見えてくることでもあって、脳はこれに違和感を感じますが、この「違和感」が大切なんだと思います。
違和感に視野の広がりがあって、違和感があるのは視野の広がりそのものだで、違和感を避け、みたいところだけの世界に固執すると、かえって身体の過緊張を生み、疲れやすくなるような気がしています。
自分がみようともしていなかったところをみる体験は、ワクワクや驚きと同時に、困難やストレスともいえる体験を含んでもいて、しんどいなと思うこともあります。
視野の狭さを気づくことは、視野が広がることでもあるけど、自分の視野をどう活かしていくか?というところも人生のおもしろさかなとは思います。
個人的には脳や身体の「違和感」に注目しています。自分に合った眼鏡は視野が広がる手助けにはなりますが、眼鏡が視野を自動的に広げてくれるわけではないので、自分の興味のあるもの以外にもさまざまなモノゴトや人と関わりを持っていくことも、リラックスにつながると思います。
色々妄想混じりのことも書きましたが、そんなようなことを、近視という状態から感じたり、想像しています。
なにか多少なりご自身を客観的にみる機会になれば幸いです。
今日は以上です。