観察点23 「問題」

おはようございます。

整体庵大空の下大前です。

 

 

「問題」

 

日々の生活の中で、特に心身に関して「問題」は時々、

もしくは頻繁に発生している方が多いと思います。

 

今で言えば、

緊急事態宣言は解除されましたが、コロナ感染の問題が多いでしょうか。

 

ある「問題」が生じたとき、次に考えることは、

ほぼ全ての方がその問題をどう解決するか?どう対処するか?だと思います。

 

しかし、

問題は解決しようとするほど大きくなったり、複雑になっていきます。

この意味がわかりますか?

 

妻が先日、隣にいたある親子連れの方の会話を耳にしたそうです。

子供が陳列されている野菜を触ろうとしたのを見て、

「そんな、誰が触ったかもわからない物を触るんじゃない!」と親御さんに叱られていたそうです。

 

おそらくコロナ絡みで、無用に触るなという意味だと思います。

 

「コロナウイルス」という問題に対してその解決策として、

「むやみに触れるな」という意味だと思います。

 

 

世の中、あらゆる所に消毒が置かれ、

マスクやフェイスシールドなどがありますが、これらも全ては対処です。

 

しかし、

消毒やマスクを徹底したところで、コロナが不安という問題は解決しましたか?

一時の安心感はあったとしても、次の瞬間にはまた「これも汚いんじゃないか?」という不安が必ず発生しているはずです。

 

緊急事態宣言が解除されて、「これで安心だ」と心から思えた人はおられますか?

僕はいないと思います。

 

問題は解決しようとするほど、大きく複雑になる。

 

では問題をどう捉えることが大事なのか?

 

そもそも、

なぜ問題は「問題」として僕たちの眼の前に現れるか?考えたことはありますか?

 

問題とは、

それを「問題」と認識してはじめて問題と言えます。

「ある出来事」とそれを「問題」と認識している僕らがいて初めて、

問題は「問題」として成立します。

 

だから、

同じ出来事を、

「問題」と捉える人もいれば、そうでない人もいる訳です。

 

そうすれば、

自ずと問題は解決したりするために存在しているのではなく、

問題は、それを「問題」と認識する僕ら自身の価値観を拡げるキッカケであることもわかってくるのではないかと思います。

 

そして、

「問題」とは、

僕ら自身のエゴ的な「物事を思い通りにいかせたい」という前提から発生します。

ここには心のカラクリが潜んでいて、

思い通りにしたい。と願うほどに、そのエゴ的な思い通りという世界は一切起こりません。

なので、問題を解決しようと頑張れば頑張るほどに、問題は大きくなる。ということが起こります。

 

問題の解決法ではなく、

なぜ、自分自身がそれを「問題」として認識しているのか?

そういうことにも眼を向けてあげることが重要です。

 

当たり前のことほど、人間は忘れ、

当たり前のことに感謝できなくなる。

それを思い出すために「問題」というのは僕たちの目の前に現れるのかもしれないですね。