不安症・パニック障害で悩む方へ…。「病気になれる身体に感謝したくなるブログ」

おはようございます。

 

整体庵大空の下大前です。

 

今日は、

 

『不安症・パニック障害で悩む方へ…。「病気になれる身体に感謝したくなるブログ」』

 

というお話です。

 

将来、かかるかもしれない病気を想像しては、不安になる方もいます。

 

今悩む持っている症状がこの先悪化して、大病の予兆なのではないかと不安に感じる方もいます。

 

家系の中で遺伝子やすい病気があり、それにならないか不安に感じている方もいるでしょう。

 

 

病気になったり、

何かで苦しむ事に恐れを抱くことは、

何も不思議な事ではありません。

 

なぜ、

人は病気を恐れるのか?

 

そんな当たり前すぎて、疑う事もない事を、

今日は少しだけ考えてみたいと思います。

 

なぜ、人は病気を恐れるのか?

 

という事を考えていくと、

病気は恐れなくても良いかもしれない…と感じるかもしれません。

 

そして、

何よりも人の心にある差別心、価値観に疑問を持つ事にもなるはずです。

 

 

病気を恐れることはあったとしても、

病気にならないために生きているのは、

少し違和感を覚えます。

 

あなたにとっての幸せとは、病気にならないことでしょうか?

病気ではない事が幸せだったとしたら、

将来、病気になるかもしれないと不安を感じている人は、

病気ではない、今に幸せを感じていないのはなぜでしょうか?

 

自信を持ってそうだと言える人もいてもちろん良いんですが、

僕はやっぱり、病気でない事だけが幸せとは思えません。

 

幸せであるために、

病気ではないことは、一つあったとしても、

病気にならないために生きるその生き方は、楽しい生き方ですか?

 

そんな事を自問自答するお話になれば幸いです。

 

ご興味があればこのままお読みください。

 

 

 

ー今日のお話ー

  1. 病気は身体の力である
  2. 病人と健康を分ける差別心
  3. 身体障害者、自立支援って…
  4. 幸せを勝手に押し付けるな
  5. 健康になるために生きたいですか?
  6. まとめ

 

病気は身体の力である

病気は身体の力である

病気になる事は、

悪い事、嫌な事、辛い事だと思っている方が大半ではないかと思います。

 

これらを前提として、

「闘病」という言葉や、

「病気を克服する」という言葉が存在していることからも、

病気は悪であるという常識が伺えます。

 

しかし、

病気というのは、身体に悪いことなのでしょうか?

 

少し発想を変えて、

もし、この世界に病気という現象が起きなければ一体どうなるのか想像してみてください。

 

下痢を引き起こせない身体であれば、

胃腸に不必要な物や細菌があっても、

速やかに体外に排出できないかもしれません。

 

ウイルスが体内に侵入して、

発熱できない身体だったら、

ウイルスを処理することが出来ずに、

体内環境を一定に保つことはできないかもしれません。

 

小さな赤ちゃんでは、

下痢や発熱を引き起こせない免疫力の低い身体では、

命に関わる可能性も高いかもしれませんよね??

 

ニキビも、癌も、痔も、アトピーも、

体内の余分な物や感情の排毒現象の一つなのです。

 

癌治療の世界でも、多額の資金と人材、時間を費やして、

癌の研究はしていますが、

癌患者数が年々右肩上がりで、一向に減らすことができないのは、

 

「癌は悪いもの、がん細胞は排除するもの」

 

という観点からの研究しかしないからです。

 

癌の存在する理由を考えてみるという視点に経てば、

観えてくる景色も変わるんじゃないかなと思うんですが…

 

 

 

 

このような排毒システムが上手に働かなければ、

命に関わるもっと大きな病として現れていたかもしれないのです。

 

病めることは力なんです。

 

生きている限り、

生まれてから死ぬまで、

なんの症状もなく、過ごすことができる人はいません。

 

生きていることは、

症状が現れたりなどの心身の変化が常に起こり続けて行きます。

 

生きるとは、変わり続ける事を意味しているのです。

 

病気と言われる現象を、

ただ悪いもの、改善するべきものと考え、悩む事も出来ます。

病気を出せる身体に感謝する事も出来ます。

 

どちらの道も、間違った選択ではありませんが、

あなたがどちらを選びたいかというのは選ぶことが出来ますよね?

 

僕は、

病気が出せる身体に感謝しつつ、

生きているありがたさを日々感じることが出来た方が、

なんとなく日々が楽しいように感じてます。

 

病人と健康を分ける差別心

病人と健康を分ける差別心

病気になった人を、

病人と良い、病人が苦しむ姿をみて、

「自分はこうなりたくない」そんな思いから病気への不安を掻き立てられる人も多いです。

 

そもそも、

症状がない状態が、健康だと勘違いしていませんか?

 

健康とは一体なんなのでしょうか?

 

これは、

一人一人がよく考えてみる必要がありそうです。

 

単に症状がない事を健康と考えるのであれば、

症状がないけど、将来かかるかもしれない病気を恐れ、

それを防ぐために、食生活から、生活習慣から、

気をつけビクビクしながら生きている。

これは、果たして健康と呼べるのでしょうか。

 

もっと言えば、

症状がない状態を健康と考える人が、

ほとんど症状がない今の状況に、なぜ満足しないのでしょう?

 

今は、何もないけど、

将来の病気に不安を感じてビクビクしている。

将来的に病気になったら、さらにビクビクしている。

 

そんな方と接することもありますが、

一生ビクビクして生きるのですか?

 

健康なのに、病人のように過ごしている人もいます。

病人なのに、健康に過ごしている人もいます。

 

健康とは一体なんなのでしょう?

 

一人一人の健康観があって良いので、

どんな健康観を持っているかは自由です。

 

しかし、

単に無症状である事が、健康である。ということだけは、

勘違いかもしれません。

 

あなたにとって健康とはなんですか?

 

身体障害者、自立支援って…

身体障害者、自立支援って…

心身に障害がある人を、

「身体障害者、自立に支援を要する人」

と世間一般的には言われています。

 

これには、ものすごく違和感を覚えるんですが、

何を持って身体障害者というのでしょうか。

 

これもとどのつまり、

五体満足で、誰が決めたかもわからないような常識を守れる人間だけが、

正常で、そうでなければ障害者と区別しているからこその考えです。

 

世間の常識に囚われることなく、

自分の世界の中で生きれる人のどこに自立支援が必要なのでしょうか?

 

むしろ、

自分の世界観を確立している時点で自立しているはずなんです。

 

その反対に、社会の一般常識を守り、

常識から自立出来ない人もいるわけです。

 

身体障害、心身の障害は、

社会常識の数値化した能力の中で、

決められているにすぎず、

自立していないと決めつけている見方自体が、

本当の意味では自立していないのかもしれないですね。

 

 

僕が学生時代、

道端で眼が見えていない方を、

単純に親切心で、手を貸そうとしたことがありました。

 

すると、

「大丈夫なんで、手伝わなくて良いです」と怒られた事をはっきり覚えています。

 

今思えば当然ですが、

この時の僕は、

眼が見えていることが正常で、

眼が見えていない事は不自由という偏った見方をしていたんです。

 

眼が見えるかどうかなんて、

ただの特徴でしかないのに、

それを勝手に見えることが正常だと考えてしまっていたのです。

 

この方よりも、

断然、僕の方が障害者で、自立していないです。

 

身体障害者、自立支援を要する人、

社会福祉のあり方を考える上で、

その前提に人を能力で区別する事を考え直さない限り、

何も改善しないのではないでしょうか?

 

人の幸せを勝手に押し付けるな

幸せを勝手に押し付けるな

病気を恐れることは、

今ある身体や健康を失うことが怖いということがあります。

 

健康であることだけが幸せだという考えからの感情ではありますが、

健康であることへの大切さに気づくために病になることもあるでしょう。

 

健康という考えもそうですが、

現代社会において、

「一般的な幸せな生き方像」みたいなことを小さな頃から、

押し付けられているような感じがします。

 

幸せとは、

社会が決めることでも、

常識が決めることでも、

誰かに決められることでもなく、

自分自身が感じることです。

 

人に押し付けることなく、

押し付けられることなく、

一人一人の幸せをお互いに尊重して生きたいものです。

 

健康になるために生きたいですか?

健康になるために生きたいですか?

「健康になるために、

食生活や生活習慣を工夫する。」

 

その行為から気づく事はたくさんあるので、

決して悪いことではありません。

 

しかし、

人生の中で、

健康になることや、

健康を維持することが目的となってしまっては、

本末転倒なのではないでしょうか?

 

健康とは、

人生の目標に取り組むにあたり、

場合によってあった方が良いことかもしれませんが、

あくまで二次的なものです。

 

人生においてやりたいことがあったとして、

「健康になれば、やりたいことをやろう」と思う人もいます。

 

しかし、

「やりたいことを我慢してきたから、病気になった」

という見方もできるかもしれません。

 

もしくは、

やりたいことをやるということ。

に気づかせられるために、病気という現象が起こるということもあるかもしれません。

 

 

人生で、

偶然起こるような出来事にも全て意味がある。

 

とは、考えられない人もいるでしょう。

 

『なぜ自分だけが、

こんなに悪いことが続くのだろうか…』

 

確かに、人生をこういう見方で観ることも出来ますし、

それが間違っているとは思いません。

 

しかし、

人生で、不必要な経験は起こらない。

 

という考えで、人生を観ることも出来ます。

 

今の経験が必要であるから、経験している。

であれば、

その中に意味を見い出すこともできるはずですよね?

 

それが、

無理矢理であっても良いんですが、

一度、そういう見方で、

不安症やパニック障害で悩む自分自身を観てみてはどうでしょうか?

 

今のその経験は、

とっても大切なことを学んでいる最中なんですね。

 

まとめ

不安障害、パニック障害を解消するために… 本当に大切なこと以外捨ててしまおう。

今日は、

不安障害、パニック障害で悩む方に、

病気になれる身体に感謝したくなるお話でした。

 

途中、

話がとびとびになってしまい、

わかりにくいブログになってしまったかもしれません…

 

なんとか、

僕の拙い文書力の中から、

大切なことを察して頂けるとありがたいです。

 

健康になりたい。

健康を維持したいという人はたくさんいますが、

そもそも、

生きていること自体が健康なのかもしれません。

 

病気になれることも、

怪我をして治せることも、

全ては、健康だからこそ出来ることですよね?

 

健康とは、

望まなくても、今すでにここに在るものなのかもしれません。

 

そのことに気付くために、

人間は病気という概念を作ったのかもしれませんね。

 

 

 

僕たちが普段前提にしている、「常識」を疑い、考えることで、

見えてくるものもあるのかもしれません。

 

如何でしょうか?

 

 

乱文でわかりにくいことがあったと思います。

また、わからないことがあればどんどん質問してくださいね。

 

それでは今日はこの辺で!

パニック障害・不安障害について詳しくはこちら

パニック障害・不安障害

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